中田久美監督の伝説と2つの転機と葛藤!年齢や旦那に子供も気になる【プロフェッショナル】
【プロフェッショナル】仕事の流儀にバレーボール全日本女子監督。
中田久美さんが出演されます。
現在、バレーボール女子世界選手権の3次リーグが行われてます。
世界ランク6位のセルビアにストレート負けをしたことで次のイタリア戦を勝たないと最終的にセルビアvsイタリアの結果待ちとなってしまいます。
是非、イタリア戦に勝利し1勝を挙げてほしいですね。
みなさんの中田監督の印象はどうですか?
私は怒鳴ってる所なんか見ると怖いとか厳しいという印象です。
ですが番組の内容説明を見ると誕生日にはケーキでお祝い。
行き詰まっている選手には何気なく声をかけるなどする。
となってます。
ここからうける印象は本当に選手の事を思い考えている監督なんだなと思いました。
そんな中田久美監督の事がめっちゃ気になりますね。
今回は中田久美監督の伝説や2つの転機と葛藤について。
また年齢や結婚した旦那(夫)に子供の事などを調べてみたいと思います。
では早速、確認していきましょう。
中田久美監督のwikiプロフィールに年齢
出典 :Instagram
名前:中田久美
ふりがな:なかた くみ
生年月日:1965年9月3日
年齢:53歳(2018年10月時点)
血液型:A型
身長:176㎝
体重:65㎏
中学:練馬東中学校
高校:NHK学園高校
出身:東京都練馬区
選手としての情報
愛称:クミ
役職:監督
ポジション:セッター
指高:229cm
利き手:両利き
スパイク:305cm
ブロック:289cm
中田久美監督
名前の由来は9月3日生まれだったことだそうです。
凄い名前の付け方ですねw
母親の助言を受けて中学校からバレーボールを始まられたそうです。
そして中学2年生の時に山田重雄の英才教育バレーチーム『LAエンジェルス』に入団されました。
中学の同級生には生徒会副会長を務めていた尾崎豊さんがいたそうです。
尾崎豊さんと同級生なのも驚きですが、それより尾崎豊さんが生徒会副会長をしてたことのほうが衝撃ですw
そんなイメージじゃないですよねw
高校はバレーボールに専念するために通信制のNHK学園高校に通われたそうです。
完全にバレー漬けの青春ですね。
そのかいあって中田久美監督は史上最年少の15歳で全日本代表に選ばれました。
その後、ポジションをセッターに変わられてます。
そして日立に所属しポジション変更からわずか1年でレギュラーになられたそうです。
現役時代の中田久美監督は
選手現役時代は、アジア大会の優勝、ロス五輪で銅メダル。
そしてバルセロナ五輪出場に世界選手権、ワールドカップ・・・
など
日本代表として目覚ましい活躍をされてます。
1997年に日立を退社してからはタレント、スポーツキャスター、バレーボールの解説者など芸能人としてバレーボール関連の仕事をされてました。
その後、2011年に久光製薬スプリングスのコーチ。
2012年からは監督に就任。
そして監督就任の1年目で前年度優勝の東レを破り天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会で優勝してます。
中田久美監督がバレーボール女子日本代表の監督に選ばれたのは216年の事です。
日本バレーボール協会理事会にて満場一致で決まったそうです。
凄いですねw
中田久美監督の結婚した旦那や子供は?
中田久美監督の結婚した旦那さんや子供さんについて確認していきましょう。
中田久美監督は結婚してるんでしょうか?
年齢的には結婚されていてもおかしくないですよね。
調べてみるとどうやらバツ1のよです。
林隆夫さんと29歳の時にご結婚されてますね。
その後、離婚されてます。
離婚の理由は夫婦間のすれ違いだそうです。
ネットで検索すると離婚理由とかで記事がけっこうあるのでどんな理由だろうと思ってましたが意外と普通ですねw
林隆夫さんとの間には子供は出来なかったようです。
いろいろ調べてみると引退後にセミヌード写真集などもだされてますね。
もしかしたら夫婦間のすれ違いの原因かもしれないですね。
でもセミヌード写真集って当時だとけっこうハードル高い気がしまよね。
最近だと意外とあっさり脱いだりしますが、当時だとスポーツ選手が脱いだりしたらかなり話題になったんじゃないかと思います。
中田久美監督、現在は独身のようです。
中田久美監督の伝説?すぽると?
では中田久美監督の伝説について確認していきましょう。
伝説ってw
なんでしょうね?
ネットの検索ワードで『中田久美 伝説』と言うのが出てきますね。
普段、怒鳴ったりして怖いイメージの中田久美監督。
昔のやんちゃな伝説かと思いましたが・・・・
どうやら違うようですw
この伝説調べてみるとわりと有名ですねw
2004年にフジテレビの『すぽると!』に生出演された時の話のようです。
アテネオリンピック出場権を獲得した日本代表選手達は番組直前に打ち上げがあったそうです。
そして酔っぱらったままテレビに出演したのでテンションが高く大騒ぎたったよです。
その騒ぎ声は『キャーキャー』とうるさく司会者の声が聞こえないほどだったようです。
その時は中田監督も選手に『ちゃんとまじめにやろうね』と優しく注意していましたが・・・
番組の画面がスタジオから試合映像にかわった瞬間
『てめえら、この野郎!!!』
と選手を一括したそうです。
その声が全国ネットで流れてしまったという伝説ですw
中田監督、きっとマイクが入っていないと思ったんでしょうねw
画面が切り替わると一気に起こったそうですw
そして画面がスタジオに戻った時には選手たちがおとなしくなっていたようですw
どんな場面でもちゃんと叱れるのはすごいと思いますねw
でも放送事故ですよねw
まさに伝説ですw
中田久美監督の2つの転機と葛藤とは?
では中田久美監督の2つの転機と葛藤について確認していきましょう。
1つ目の転機と葛藤は・・・
1986年の『右ひざ前十字じん帯断裂』の大けがのことです。
この時に中田久美監督はこう語られてます。
『いま考えると86年の大けが(右ひざ前十字じん帯断裂)で私の現役人生は終わっていたと思います』
『アスリートとしては完全に終わっていたのに、やめるにやめられなかった。その葛藤が自分を一番成長させてくれました。『人を生かすってどういうこと』と何度も自問自答しましたから。人ってかけられたはしごを外されたときに人間力が試される。あの経験は今の監督業に生きていますね」』
凄いケガだったんですね。
アスリートとして完全に終わったと思うほどってヤバいです。
でもこの『やめるにやめられなかった』という気持ちはなんとなくわかる気がします。
若い時からエリート街道を歩んできたのなら、なおさらですよねw
ですがその後、見事復帰されて、さらにその経験が監督業に活かされてるのが凄いです。
2つ目の転機と葛藤は・・・
引退された後の2006年の時の事
当時はタレントとして解説者などの仕事をされてました。
その時に長野県に移住していた父、博秋さんの死に直面した時の事のようです。
この時の事を中田久美監督はこう語られてます。
このとき、『このままじゃダメだな』と迷っていた自分の背中を父に押してもらった気がしました。人生を賭けてきたバレーボールにより磨きをかけ、次世代につなげる生き方もありなのかな、と」
これが監督になろうと思ったキッカケのようですね。
この後、中田久美監督はイタリアへ2年間修行しにいったそうです。
行動が早いですねw
思い立ったらすぐに行動ですねw
そしてイタリアで指導者として勉強し帰国後は久光製薬監督になられたようです。
その後、女子日本代表の監督にもなれらてるのですごいです。
さいごに
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