藤田信雄の子供が会社倒産?終戦後の土浦での暮らしがヤバイ!本や映画はある?【アンビリバボー】

アンビリバボー

藤田信雄画像①

こんにちは!

 

『奇跡体験!アンビリバボー』にアメリカ本土を空爆した世界で唯一の日本人、藤田信雄さんが特集されます。

 

たった1人でアメリカ本土を爆撃した歴史上唯一の男が藤田信雄さんです。

アメリカ本土を爆撃したにもかかわらす、ブルッキングズ市に主賓として招待されアメリカ人から歓迎されたすごい人です。

 

なぜアメリカ本土を爆撃したのに歓迎されたのか?

ブルッキングズ市に日本刀を寄贈した本当の理由?

なぜ1人だけでアメリカ本土を爆撃できたのか?

真相はこちら

藤田信雄はなぜアメリカ本土を爆撃できたのか?刀を贈った理由と米国で歓迎された真相を考察【アンビリバボー】

 

『歴史上たった1人でアメリカを相手に爆撃を成功させた勇敢な元兵士』としてアメリカ人から歓迎された藤田信雄さんの気になる事を調べてみました。

 

今回の記事内容は

・藤田信雄のwikiプロフィール

・藤田信雄のアメリカ本土爆撃の本や映画

・藤田信雄の終戦後の土浦での生活がヤバイ?子供が会社を倒産させた?

上記の内容で確認していきます。

 

みなさんも一緒に確認していきましょう。

 

藤田信雄のwikiプロフィール【アンビリバボー】

名前:藤田 信雄

ふりがな:ふじた のぶお

生年月日:1911年10月

死没:1997年9月30日(満85歳没)

軍歴:1932年~1945年

最終階級:中尉

除隊後 ブルッキングズ市の非公式大使

 

藤田信雄さんは歴史上ただひとりアメリカ本土を爆撃した男として有名な方です。

さらにアメリカ本土を爆撃したにも関わらずアメリカの人から称賛され歓迎されたすごいエピソードをお持ちです。

 

藤田信雄さんの極秘作戦、のちにルックアウト空襲とよばれる爆撃はたった1人でオレゴン州ブルッキングズ市に近い山中に焼夷弾を使用して山火事を発させるというものです。

 

この爆撃が最初にして最後の日本軍によるアメリカ本土への爆撃となったようです。

 

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藤田信雄のアメリカ本土爆撃の本や映画【アンビリバボー】

さて藤田信雄さんの英雄譚や波乱万丈の人生について本や映画がないか確認していきましょう。

まずは本ですが・・・ありました。

アメリカ本土を爆撃した男 新書版

出典 :amazon

値段:972円

商品の説明

内容紹介

世界でたった一人、米大陸空襲を敢行した藤田信雄海軍中尉の数奇なる運命!
アメリカ大統領は自国を空爆した藤田中尉になぜ感謝状とホワイトハウス内の星条旗を贈ったのか?
「貴殿の厚意とかつての勇敢なる行為を讃え……」
〈超大国の大統領がこれほど強い讃辞を個人、しかも帝国軍人に与えるなど聞いたことがない〉(米タイム誌記者S・チャング氏)

著者は生前の藤田氏と交流のあった元産経新聞記者の倉田耕一氏。遺族が保管していた藤田氏の日記27冊分を解読した。
本書は波乱に満ちた男の人生を見事に描ききったノンフィクションにして、日米戦争という悲劇を乗り越えた人々の友情の記録である。

〈目次〉
第一章 老兵の追憶
第二章 米本土ヲ空襲セヨ
第三章 昨日の敵は今日の友
解 説 米タイム誌、S・チャング記者

引用:amazon

 

こちらはアメリカ本土を爆撃した男として極秘作戦内容からホワイトハウス内の星条旗を贈られたエピソードまで藤田信雄さんのすべてが網羅された作品となってます。

 

もうこれを読めば藤田信雄さんのすべてがわかる一冊ですね。

興味がある方は購入して読んでみる事をお勧めします。

 

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藤田信雄の映画について

調べてみると映画のお話はあったよですが、実際には映画化はされてないようです。

こちらに映画化についての記事がありました。

藤田氏と親交のあった米誌「タイム」の記者が映画用の脚本を書き、ブルッキングス市在住の映画制作者に直談判する。そのプロデューサーこそが、真珠湾攻撃を日米双方の視点で描いた戦争大作「トラ・トラ・トラ!」(1970年)のエルモ・ウィリアムズだった。「オレゴンの日本刀」と題された脚本の映画化は結局、日の目を見なかった。

引用:sankei

有名は監督の元に映画化する可能性があったんですね。

藤田信雄さんのお話は映画化されたらきっと面白いと思います。

記事を書くのにいろいろ調べてるだけでも面白かったので是非、映画化してもらいたいと思いますね。

 

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藤田信雄の終戦後の土浦での生活がヤバイ?子供が会社を倒産させた?【アンビリバボー】

1945年に終戦を迎え、藤田信雄さんのその後は波乱の人生だったよです。

家がお金持ちでない場合、戦争から帰ってきても仕事がないわけですね。

しかも戦争には負けていますしw

 

家族を養うために藤田さんは地元の茨城県土浦市に帰り、金物の行商を始めたようです。

そして藤田金属と言う会社を作り企業にまで成長させたようです。

 

すごいですね。

やっぱり出来る人は何をしても成功するんですね。

しかも地元の土浦市に帰って成功してますしね。

 

ですが藤田信雄さんが企業にまで育てた会社も息子が会社を継いですぐ倒産してしましました。

 

企業にまで成長した会社ってそんなに簡単には倒産しないと思うんですがね・・・

息子が会社を潰してしまったせいで藤田信雄さんは60代後半になって再就職することになります。

 

60代後半で再就職ってほぼ不可能じゃないかと思いますが。

も藤田さんは海軍時代の教え子を頼って運転手として再就職されたようです。

60代後半で昔の教え子にお願いするのってかなりプライドが傷つきますよねw

 

でも藤田信雄さんはがんばって働いた結果、運転手から工場長になり、さらに取締役まで出世されました。

すごいですね。

現役を引退した時は82歳だったようです。

82歳まで働くって大変ですよ。

 

藤田信雄さんがこの年齢になるまで仕事をがんばり続けたのには訳がありました。

それはブルッキングズ市に招待された時にある約束をしたからです。

その約束とは、アメリカ本土を爆撃した自分を大歓迎してくれたブルッキングズ市の人々との日米親善のために、いつの日かブルッキングズ市の学生を日本に招待するというものです。

 

藤田信雄さんはその約束を守るために会社が倒産しても、かつての教え子に頭をさげて仕事を紹介してもらい仕事を続けたようです。

 

そして約束から25年たった時にブルッキングズ市の高校生を3人、日本に招待したそうです。

約束を忘れずにいた藤田信雄さんは本当にすごいですね。

 

おすすめ記事まとめ

歴史上でただ一人アメリカ本土を爆撃した藤田信雄さん

なぜ1人で出撃となったのか?

たった1人で爆撃が成功した本当の理由とは?

ブルッキングズ市の人が歓迎したくれた本当の理由

など考察しました。

藤田信雄はなぜアメリカ本土を爆撃できたのか?刀を贈った理由と米国で歓迎された真相を考察【アンビリバボー】

さいごに

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今回はアメリカ本土を空爆した世界で唯一の日本人、藤田信雄さんの気になる事を調べてみました。

 

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尚、記事の間違いや更に詳しく調査してほしい事などはコメント欄へお願い致します。

 

では、最後までお付き合い頂きありがとうございました☆彡