こんにちは!
『奇跡体験!アンビリバボー』で歴史上ただひとりアメリカ本土を爆撃した男として藤田信雄さんが特集されます。
番組予告では『命がけの極秘作戦に成功!20年後にアメリカから危険な招待状が!?国も見放し自己責任!?決死覚悟で渡米!世界平和に捧げた半生とは…』となってますね。
命がけの極秘作戦やアメリカからの危険な招待状などきになるワードがいっぱいです。
そんな 藤田信雄さんはなぜ単独でアメリカ本土を爆撃できたのか?
アメリカを爆撃したはずなのになぜ歓迎されたのか?
そして決死の覚悟で自決用に持っていった日本刀を贈った理由など
気になる事を確認していきます。
今回の記事内容
・藤田信雄さんはなぜ単独でアメリカ本土を爆撃できたのか?
・藤田信雄さんはアメリカ本土を爆撃したのに歓迎された本当の理由を考察
・藤田信雄さんがブルッキングズ市に家宝の日本刀を贈った本当の理由を考察
上記の内容で確認していきます。
みなさんも一緒にに確認していきましょう。
藤田信雄さんはなぜ単独でアメリカ本土を爆撃できたのか?
歴史上ただひとりアメリカ本土を爆撃した男、藤田信雄さん
なぜ単独でアメリカ本土を爆撃できたのか?
このエピソードの経緯を追って行きながら考えていきましょう。
その前に藤田信雄さんのプロフィールや本に映画の情報
そして終戦後の土浦での暮らしや子供についてはこちらです。
命がけの極秘作戦とは?
番組内で説明があると思いますが、補足としてどんな作戦だったのか確認しましょう。
戦禍の真っ只中の1942年4月21日、ひとりの男が大日本帝国海軍司令部に呼び出されました。
その男は当時31歳だった藤田信雄海軍兵曹長でした。
当時、藤田信雄さんは海軍兵曹長だった自分がなぜこのような場所に呼び出されたのか分かっらなかったそうです。
そこには通常であれば顔を合わす事のない首脳部の偉い人がいたそうです。
3日前にアメリカのB25によって東京と横浜を爆撃された報復として空爆を命令されたそうです。
しかもその命令は1人でやってくれというものだったようです。
目標はオレゴン山中。
アメリカ西海岸は乾燥しきっていてちょっとした火災でも大きな山火事になるため、アメリカに莫大な被害を与え、戦意を喪失させることが出来る。
さらに作戦に使用するのはE14Y(零式小型水上偵察機)だったよです。
E14Y(零式小型水上偵察機)に焼夷弾2発を積み単独でのオレゴン山中への爆撃命令。
これが命懸けの極秘作戦です。
たった一機でしかもセスナのような偵察機でアメリカのレーダーをかいくぐりオレゴン山中に焼夷弾を落とし無事に帰還する。
まさに命懸けと言うかほぼ生還できる確率は0に近い作戦ですね。
この時、藤田信雄さんも無事に生還する自信がなく、出発前日の8月14日に家族に宛てた遺言書を残したそうです。
まあ普通は成功して無事に生還できるとは思わないですよね。
私でも覚悟を決めますね。
なぜ単独での作戦だったのか?
まず藤田信雄さんがこの作戦に選ばれたのはその類まれなる操縦の腕を買われての事だそうです。
極秘作戦と言う事はけっこう大事な作戦ですよね。
それを任されるとは、かなり腕がよかったんだと思います。
でも普通は一機のみの爆撃ってないような気がしますよね。
特攻ですら護衛機がついたと聞いています。
それがいくら腕がいいからと言って単騎で爆撃って失敗する確率が高すぎますw
そこで考えられる理由は当時は特攻もやってたし少年兵くらいの年齢の方も戦地に駆り出されるくらいだったので人材不足だったのではないでしょうか?
さらに極秘作戦で焼夷弾2発での山火事が狙いだった為、目立たないように単騎での作戦だったんじゃないでしょうか。
結果として作成は一応、成功だったようですし。
一応と言うのは焼夷弾での爆撃は成功したんですが、前日に雨が降っていたため山の森林が湿っていて火災は発生したもののアメリカ林野部によってすぐに鎮火されたからです。
被害もほとんどなかったよでうす。
帰還後、藤田信雄さんは上官に『木を一本折っただけではないか』と怒られたようです。
藤田信雄さんはなぜ単独でアメリカ本土爆撃に成功したのか?
まず一番最初に思いつくのは藤田信雄さんの操縦の腕ですね。
レーダーに捕まらないように低空で飛行するよに命令されていたようですし。
敵のレーダーを掻い潜り目標まで行けたのは藤田信雄さんの操縦の腕がよかったからだと思います。
それと単騎で出撃したのがよかったのではないでしょうか。
でも調べてみると実際にはレーダーには捕まらなかったよですが、藤田信雄さんの偵察機はアメリカの監視台に目撃されていたそうです。
そして敵機来襲の報告もされていたようです。
ですが、当日は濃霧だった為、藤田信雄さんの偵察機を発見することはできなかったようです。
結果として藤田信雄さんは見事、爆撃に成功されたようです。
藤田信雄さんはアメリカ本土を爆撃したのに歓迎された本当の理由を考察
藤田信雄さんはアメリカ本土を爆撃したわけですが、戦後、歴史上ただひとりアメリカ本土を爆撃した英雄として歓迎されたそうです。
なぜアメリカ本土を爆撃した藤田信雄さんは英雄としてブルッキングズ市に歓迎されたのでしょうか?
このエピソードの経緯とともに考察していきましょう。
アメリカからの危険な招待状とは?
昭和37年5月20日、終戦後、地元の茨城県土浦市に戻り、工場勤めをしていた藤田信雄さんの元に連絡があった。
政府首脳から直々の呼び出しだったようです。
それまで何事もなく暮らしていた藤田信雄さんは何事が起こったのかとびっくりされたそうです。
呼び出されたのは都内にある料亭です。
そこには当時の首相の池田勇人さんと内閣官房長官の大平正芳さんがいたそうです。
すごいですね。
首相から呼び出されらるなんて普通ありえませんよね。
私なら命の危険を感じますw
そして二人から告げられたのはアメリカ政府が藤田信雄さんを探しているからアメリカへ行けという内容でした。
しかも日米関係をこじらせたくないから、この件に関して日本は一切関与しないという内容でした。
この時、藤田信雄さんは今になってアメリカが自分を探していると言うことは戦犯として裁かれるんじゃないかと思ったそうです。
そう思った藤田信雄さんはもしもの時の自決用に400年間家に代々伝わる家宝の日本刀を隠してアメリカに行かれたそうです。
招待状にはブルッキングズ市の市長の署名付きで『日米親善のため』と書かれていたようです。
日本刀って隠してもっていくるものでしょうかね?
個人的には無理な気がしますが・・・
絶対、バレますよねw
まあ実際にどう隠したのかわかりませんが持っていけてるので、ちょっとすごいですねw
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ブルッキングズ市に到着した藤田信雄さんに起こったアンビリバボーな出来事とは?
大きな不安を抱えながらブルッキングズ市に到着した藤田信雄さんを待っていたのは大歓迎で迎えてくれる多くのアメリカの人達でした。
まったく予想していなかった事態に藤田信雄さんは何が起こったのかわからなかったそうです。
それは『たった1人でアメリカを相手に爆撃を成功させた勇敢な元兵士』と言う事でブルッキングスフェステバルの主賓としての招待だったようです。
ブルッキングズフェステバルの主賓として大歓迎となった経緯
これはブルッキングズフェステバルの主賓をだれにしようか話ていた時。
歴史上ただ1人アメリカ本土を爆撃した日本人兵士にしようという事になったようです。
ですがその兵士の名前がわからなかったので外務省に問い合たようす。
そして『もしアメリカ本土を爆撃したの日本人がまだ生きているならアメリカにおいで願いたい』と伝えたようです。
こういう経緯で藤田信雄さんを市民総出で迎える大歓迎となったようです。
この時、藤田信雄さんは母国の日本でも英雄扱いされたことがなかった為、このことに感激感激したそうです。
そして戦犯として裁かれるんじゃないかと疑いを持ってアメリカに来た自分を恥ずかしく思い自決用に持ってきた家宝の日本刀を日米友好の為に贈ったそうです。
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歓迎された本当の理由を考察
『歴史上たった1人でアメリカを相手に爆撃を成功させた勇敢な元兵士』という事で英雄として歓迎された藤田信雄さんですが、本当の所はどんなんでしょうか?
アメリカの映画とかでもよくあるパターンのやつですね。
敵国兵士をたった一人で勇敢に戦った英雄として称賛してますが、結果としてその英雄のいる国にアメリカが勝ったわけですから最終的にはアメリカが凄いっていう事になりますね。
寛大な態度で敵国の兵士を英雄と称賛する事でアメリカはもっとすごいとアピールできるわけですね。
これがまず一つの理由として考えられます。
そして爆撃に成功したと言っても市街地ではなく山火事を狙ったオレゴン山中への爆撃であったことと前日の雨でほとんど被害がなかった事です。
これがたくさんの人身被害が出ていた場合はこういう感じにはならなかったと思います。
それこそ藤田信雄さんが疑っていたとおり戦犯扱いになっていた可能性もあると思います。
あと考えらえるのは市長選が近かったとかw
票獲得のアピールですねw
日本でもありますよねw
まああくまでも私個人の意見ですから、こういう理由も、もしかしたらあったのではないでしょうか。
藤田信雄さんがブルッキングズ市に家宝の日本刀を贈った本当の理由を考察
藤田信雄さんが家宝の日本刀を贈った理由は先ほど述べたとおりです。
戦犯として裁かれるんじゃんないかと疑った自分を恥じて日米友好の為に寄贈したと言うことです。
ですが本当の理由にそれだけでしょうか?
まあ400年前から家に代々伝わる家宝の日本刀ですからかなり価値のあるものだとおもいますが・・・
なんで日本刀?って思ってしましました。
突然のサプライズで動揺した藤田信雄さんは、たまたま自決用に持ってきた日本刀があったので寄贈したのでは?
これが、例えば勲章や他に高価なものがあればそちらを寄贈していた気がします。
敵国兵士である自分の事を勇敢な英雄として歓迎したくれた事に感激した藤田信雄さんが、とっさに持ってきてた家宝を寄贈した。
それはたまたま日本刀だったという事ではないでしょうかw
冷静に考えたらその場ですぐに渡さなくても後から別のものを寄贈してもよかったと思います。
あまりの感激にこれをどうぞ的な感じで寄贈したように思えます。
まあ、これもあくまでも私個人の意見なので参考程度でお願いします。
追記
藤田信雄さんにとって家宝の日本刀は魂のこもった大切なものだったようです。
それを贈ったと言うことは自分を歓迎してくれたブルッキングズ市の人々に本当に感激したからですね。
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さいごに
今回は歴史上ただひとりアメリカ本土を爆撃した男、藤田信雄さんについて気になる事を調べてみました。
またこのお話の隠された真実などを考察してみました。
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では、最後までお付き合い頂きありがとうございました☆彡